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第3章 テープ文化の転機

2 ビニル粘着テープ1

大量生産時代を予感させる、塩化ビニル樹脂の誕生。

 合成高分子による粘着テープの第一号は、ビニル粘着テープです。
 塩化ビニル樹脂は熱でやわらかくなるので、熱可塑性樹脂といいます。1835年にフランスで発明され、1927年にアメリカのユニオン・カーバイト社で工業生産されました。樹脂だけで加工すると、常温では硬くて丈夫な材料です。これは硬質塩化ビニル品といわれます。家庭用水道の地中配管は、赤サビの出る鉄パイプに代わって、塩化ビニルでできたパイプが使われています。不燃性で、80~85℃でやわらかくなりますから配管作業も容易です。
 さらに、樹脂を柔軟にする可塑剤を加えて軟質塩化ビニル品にすると、まったく別の用途が広がります。全国の農家に使われたビニルフィルムは有名です。
 ビニル粘着テープをつくるときは、テープ用に向く可塑剤や薬品を選択して、自分の会社でフィルムをつくります。
 樹脂は透明ですから、着色してきれいな色を出すことができます。また、主原料は石油ですから、安くて大量に生産ができ、硬・軟両用、まさに革命的な新素材でした。

ビニル電線、そしてビニルテープ・・・
粘着テープの世代交代。

 先の大戦でアメリカ海軍は、大きな軍艦内の火災は、火がゴム電線を伝わって広がり全艦に延焼することをつきとめ、その対策としてゴム電線をビニル電線に変えました。戦後、一般商船にも使われ、1947年には全船舶の80%がビニル電線を配線していました。
 戦時中、アメリカのビニル樹脂の大部分は、電線用でした。燃えにくい、油に強い、丈夫である、加工しやすいなどの特性を持っています。
 1949年、日本でもビニル樹脂の国産化がなされ、低圧用ゴム電線はビニル電線に代わりました。電線と一緒に使われ始めたのがビニル粘着テープです。日東電工でも1951年に生産を開始しましたが、わずか4年後の1955年には、それまで絶縁テープの主役であったブラックテープより生産高が多くなっていました。世代交代が早かったのです。

製品完成には、合成高分子ならではの問題がありました。

 テープ用のフィルムをつくり、片面に粘着剤を塗布し、可能な限りフィルムを引き伸ばさないようにして乾燥し、冷却してボール芯に巻き上げ、所要の幅に切断し包装します。  これが、ビニル粘着テープの基本的な製造工程です。簡単なようですが、数あるテープの中で最もつくりにくい製品です。良好な品質を維持するためには、いくつかの問題点を克服しなければなりませんでした。
 その一つに、フィルムを柔軟にする可塑剤がありました。高分子である樹脂粉末に低分子の液状可塑剤を混合して加熱ロールで練り上げると、つきたての餅のようになり、カレンダーロールで容易にフィルムやシートにすることができます。つまり、フィルムは樹脂に可塑剤が溶け込んだゲル化物になっています。
 このフィルムに粘着剤を塗ると、可塑剤が粘着剤の層に移動して浸透してきます。可塑剤は、樹脂と粘着剤のどちらにもなじみやすく、両者の間に可塑剤の割合が平衡するまで移行します。その結果、粘着力は低下し、フィルムの柔軟性も減少する悪い状態になってしまいます。
 このことは、ビニル粘着テープの開発者たちを大いに悩ませました。移行しにくい可塑剤もありますが高価でした。そのため、あらゆる面からの解決方法が検討されました。

  • 最適な可塑剤を選択する、
  • 粘着剤層にも可塑剤を配合しておく、
  • フィルム層と粘着剤層との間に遮へい層を設ける、

 といった方法が講じられてきました。
 さらに、ビニル粘着テープでの生産開発初期に開発者や生産者を悩ませたのが、次に紹介する「タケノコ現象」です。

電気絶縁材としてうってつけのビニル粘着テープ。
開発には、いろいろな苦労がありました

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